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世界のHouzzから:中世の橋の家に住む暮らし
ドイツ中部にあるクレーマー橋は、人が暮らせる建物が橋の上に並ぶ中世の橋。近年は、職人やアーティストが暮らし、魅力的な街並みをつくりだしています。
Alexandra Oertel
2016年7月16日
ドイツ中部、エアフルトの町にあるクレーマー橋(商人の橋)を歩いていると、まるで中世にタイムスリップしてしまったような気分を味わえる。カラフルなハーフティンバーの家が32軒、幅わずか5.5メートル弱という通りの両側に立ち並んでいる。この景色だけを見たなら、橋の上だとは気づかないだろう。両側に建物があり、人が住み続けている橋としては、ヨーロッパで最長の橋でもある。古くは1156年の文献にも登場し、テューリンゲン州の州都、エアフルトのシンボル存在だ。毎年6月にはクレーマー橋フェスティバルも開催されている(今年は6月17日から19日)。
木彫職人のガブリエレ・ロイシュナーさんは、この歴史ある小さな家並みのなかの1軒に暮らしている。家の横幅は4.5メートルほどで、しかも床面積の4分の1ほどを階段が占めている。「階段に住んでいるみたいなものですね」と言いつつも、ロイシュナーさんはとくに気にしていないようだ。なぜなら、ここに住むことはずっと彼女の夢だったのだから。
木彫職人のガブリエレ・ロイシュナーさんは、この歴史ある小さな家並みのなかの1軒に暮らしている。家の横幅は4.5メートルほどで、しかも床面積の4分の1ほどを階段が占めている。「階段に住んでいるみたいなものですね」と言いつつも、ロイシュナーさんはとくに気にしていないようだ。なぜなら、ここに住むことはずっと彼女の夢だったのだから。
どんなHouzz?
居住者:木彫職人のガブリエレ・ロイシュナーさん、71歳。以前は、亡くなった夫のヨアヒムさん、娘さんと息子さん、橋の看板猫でもあったペットのフランツと一緒に暮らしていた。
所在地:ドイツ、テューリンゲン州エアフルト市、ゲラ川支流にかかるクレーマー橋(商人の橋)。規模:2階から4階までの延床面積86平方メートル。1階には木製玩具を売るお店もある。
居住者:木彫職人のガブリエレ・ロイシュナーさん、71歳。以前は、亡くなった夫のヨアヒムさん、娘さんと息子さん、橋の看板猫でもあったペットのフランツと一緒に暮らしていた。
所在地:ドイツ、テューリンゲン州エアフルト市、ゲラ川支流にかかるクレーマー橋(商人の橋)。規模:2階から4階までの延床面積86平方メートル。1階には木製玩具を売るお店もある。
13世紀から18世紀頃までは、家が立ち並ぶ橋は珍しいものではなかった。パリには、現在はポン・ト・シャンジュ(両替橋)として知られるグラン・ポン(大橋)があったし、ロンドンにあった旧ロンドン橋もその1つだ。しかし、その後の数百年間で多くが姿を消し、残っているのはわずかになってしまった。フィレンツェのベッキオ橋と英国バースのパルトニー橋と並び、エアフルトのクレーマー橋は、現存するなかでもっとも美しい橋のひとつである。
これらの橋は、通商ルートの一部として作られたものが多い。中世の初期から、エアフルトの町の中心部には、東西ヨーロッパを結ぶ重要な通商路「ヴィア・レギア」が通っていた。その途上をゲラ川が横切っていたため、浅瀬に下りて渡っていたのだが、より楽に渡れるように1156年に木製の橋が作られた。木製の橋が何度か火災に遭ったのち、1325年に石造りの橋に建て替えられた。
その後まもなく、橋の上で商品を取引する習慣が生まれた。「クレーマー橋ギルドを構成する裕福な商人たちが、貴重なハーブや、宝石、スカーフなどの高価な輸入品を売って、利益を上げていました。よろずやのような店に、詰め込むように並べていたので、『詰め込み品』とも呼ばれていたんですよ」と、エアフルト観光協会のクリスティン・ルターさんは言う。
商人たちがつくった初期の簡易売店は、のちに石造りの建物へと変化していった。1472年の大火のあと、クレーマー橋が建て直されて幅も高さも大きくなったことで、店主の一家は店の上に住むことができるようになった。
これらの橋は、通商ルートの一部として作られたものが多い。中世の初期から、エアフルトの町の中心部には、東西ヨーロッパを結ぶ重要な通商路「ヴィア・レギア」が通っていた。その途上をゲラ川が横切っていたため、浅瀬に下りて渡っていたのだが、より楽に渡れるように1156年に木製の橋が作られた。木製の橋が何度か火災に遭ったのち、1325年に石造りの橋に建て替えられた。
その後まもなく、橋の上で商品を取引する習慣が生まれた。「クレーマー橋ギルドを構成する裕福な商人たちが、貴重なハーブや、宝石、スカーフなどの高価な輸入品を売って、利益を上げていました。よろずやのような店に、詰め込むように並べていたので、『詰め込み品』とも呼ばれていたんですよ」と、エアフルト観光協会のクリスティン・ルターさんは言う。
商人たちがつくった初期の簡易売店は、のちに石造りの建物へと変化していった。1472年の大火のあと、クレーマー橋が建て直されて幅も高さも大きくなったことで、店主の一家は店の上に住むことができるようになった。
1870年ごろの橋の様子がわかるスケッチ
「クレーマー橋では、3階建ての横長のハーフティンバー造りの家を、橋の両側に、一度に2軒ずつ建てていきました。それから仕切り壁を作って、それぞれ幅2.6メートルほどの家に分割したんです」と、クリスチャン・ミッシュさんは言う。ミッシュさんは、歴史的建造物や考古学遺産の保存をおこなうテューリンゲン州の機関で、エアフルト市の歴史的建造物の登録や記録を担当している。
.橋の上の暮らしでいつも問題となっていたのが、スペースが足りないことだった。そのため家の合体が進み、もとの62戸から32戸になった。「それぞれの家が個別に建て直されているので、今ではつながっていないように見えますね」とミッシュさんは言う。
「クレーマー橋では、3階建ての横長のハーフティンバー造りの家を、橋の両側に、一度に2軒ずつ建てていきました。それから仕切り壁を作って、それぞれ幅2.6メートルほどの家に分割したんです」と、クリスチャン・ミッシュさんは言う。ミッシュさんは、歴史的建造物や考古学遺産の保存をおこなうテューリンゲン州の機関で、エアフルト市の歴史的建造物の登録や記録を担当している。
.橋の上の暮らしでいつも問題となっていたのが、スペースが足りないことだった。そのため家の合体が進み、もとの62戸から32戸になった。「それぞれの家が個別に建て直されているので、今ではつながっていないように見えますね」とミッシュさんは言う。
1938年のクレーマー橋
第二次大戦中の爆撃や戦火により、橋の一部が破壊され、何軒かの家も戦後に建て直された。橋の両側に教会が建っていた時代もあったが、現在ではエギディエン教会(写真に塔が見える)だけが残っている。東側からクレーマー橋に入るときには、この塔のアーチをくぐることになる。
第二次大戦中の爆撃や戦火により、橋の一部が破壊され、何軒かの家も戦後に建て直された。橋の両側に教会が建っていた時代もあったが、現在ではエギディエン教会(写真に塔が見える)だけが残っている。東側からクレーマー橋に入るときには、この塔のアーチをくぐることになる。
現在の橋のにぎわい
何世紀ものあいだにさまざまな変化があったものの、住居と店舗の共存するスタイルは今も保たれている。この橋の独特な魅力を維持するべく、店舗の割り当ては、1996年に設立されたクレーマー橋財団が厳しい基準に従って行っている。美術工芸・アンティーク・香辛料・海外の名産・地元の名産という業種に分けられ、それぞれのカテゴリーの店がバランスよく混ざっていることが求められるのだ。
「チェーン店が1軒もなく、個人商店だけに限定しているのも重要な点です」と言うのは、財団の諮問委員会の会長を務めるヴォルフガング・ツヴァイクラーさんだ。「でも、店舗の上の住居を借りる人についてまで、財団が意見することはありません。わざわざこの場所に住みたいという熱意のある人しか集まって来ませんから、問題はまず起こらないんです」とツヴァイクラーさんは言う。「それから、中世やその後の時代と違っているのは、店のテナントと住居のテナントが同じであることが、ほとんどなくなったことですね。」
何世紀ものあいだにさまざまな変化があったものの、住居と店舗の共存するスタイルは今も保たれている。この橋の独特な魅力を維持するべく、店舗の割り当ては、1996年に設立されたクレーマー橋財団が厳しい基準に従って行っている。美術工芸・アンティーク・香辛料・海外の名産・地元の名産という業種に分けられ、それぞれのカテゴリーの店がバランスよく混ざっていることが求められるのだ。
「チェーン店が1軒もなく、個人商店だけに限定しているのも重要な点です」と言うのは、財団の諮問委員会の会長を務めるヴォルフガング・ツヴァイクラーさんだ。「でも、店舗の上の住居を借りる人についてまで、財団が意見することはありません。わざわざこの場所に住みたいという熱意のある人しか集まって来ませんから、問題はまず起こらないんです」とツヴァイクラーさんは言う。「それから、中世やその後の時代と違っているのは、店のテナントと住居のテナントが同じであることが、ほとんどなくなったことですね。」
しかしロイシュナーさんは例外のひとりだ。もう30年以上、この橋で木製玩具店を営み、店の上の住居に暮らしている。71歳になるロイシュナーさんは、手作りで装飾小物から墓石までを制作し、おもちゃ類は別途に仕入れて販売している。彼女のトレードマークともいえる作品は、赤や青の屋根のついた木製の小さな家。当然といえば当然ながら、クレーマー橋の家々をモデルに作られている。
橋の上の家には、すべて名前がついている。これは中世の都市には典型的な習慣だ。複数の家が合体していることが多いため、2つの名前をつなげた名前も多い。ロイシュナーさんの家の名前は「鉄の帽子と黒い車輪」のような意味になる。この店はかつて鍛冶屋で、名前をあらわした錬鉄製の目印が今もドアの上に飾られている。
写真のように建物がきれいに手入れされるようになったのは、1980年代以降の最近のことだ。1960年代のクレーマー橋はひどい状態だったため、徹底的な修復が必要だった。そして橋とともに家並みも、徐々に修復が進んでいった。「東ドイツの厳しい経済状況下ですから、適切な建材を使って、歴史ある家をもとの状態に修復したりメンテナンスするのは困難なことでした」と、州で保存活動に携わるミッシュさんは言う。
それでも、橋を残したいという人々の気持ちは強かった。「東ドイツ時代にも、都市部にあったほかの歴史的地域に比べると、クレーマー橋はそれほど荒廃が進みませんでした」とツヴァイクラーさんは言う。「当時もすでに名所になっていましたし、しかも宗教的な場所ではなかったからです。」これが、無神論的な立場をとっていた東ドイツ政府にとっては重要だったのだ。
写真のように建物がきれいに手入れされるようになったのは、1980年代以降の最近のことだ。1960年代のクレーマー橋はひどい状態だったため、徹底的な修復が必要だった。そして橋とともに家並みも、徐々に修復が進んでいった。「東ドイツの厳しい経済状況下ですから、適切な建材を使って、歴史ある家をもとの状態に修復したりメンテナンスするのは困難なことでした」と、州で保存活動に携わるミッシュさんは言う。
それでも、橋を残したいという人々の気持ちは強かった。「東ドイツ時代にも、都市部にあったほかの歴史的地域に比べると、クレーマー橋はそれほど荒廃が進みませんでした」とツヴァイクラーさんは言う。「当時もすでに名所になっていましたし、しかも宗教的な場所ではなかったからです。」これが、無神論的な立場をとっていた東ドイツ政府にとっては重要だったのだ。
クレーマー橋の上にたつ建物の背面
1972年、新たに橋の家が貸し出される計画を知ったロイシュナーさんは、すぐに応募書類を提出し、無事に借りられることが決定した。しかし、やっと家の建設作業が終わって入居きたのは1984年。家を待っているあいだに出会ったのが、将来の夫となる男性だった。偶然か運命か、彼も同じく、歴史あるクレーマー橋に暮らすことを夢見ていたのだ。
ロイシュナーさんの86平方メートルのアパートメントは3つの階に分かれており、部屋が4つと、キッチン、バスルームとトイレという構成だ。部屋の配置はいたってシンプル。部屋はすべて北向きで、窓からは道の向かい側の家並みが見える。キッチンとバスルームは南側で、橋の下を流れるゲラ川の素晴らしい眺めが楽しめる。
1972年、新たに橋の家が貸し出される計画を知ったロイシュナーさんは、すぐに応募書類を提出し、無事に借りられることが決定した。しかし、やっと家の建設作業が終わって入居きたのは1984年。家を待っているあいだに出会ったのが、将来の夫となる男性だった。偶然か運命か、彼も同じく、歴史あるクレーマー橋に暮らすことを夢見ていたのだ。
ロイシュナーさんの86平方メートルのアパートメントは3つの階に分かれており、部屋が4つと、キッチン、バスルームとトイレという構成だ。部屋の配置はいたってシンプル。部屋はすべて北向きで、窓からは道の向かい側の家並みが見える。キッチンとバスルームは南側で、橋の下を流れるゲラ川の素晴らしい眺めが楽しめる。
1歩家の中に入ると、歴史や工芸を愛する人が住んでいることがすぐにわかる。入念に修復された木製のアンティークやコレクターアイテムとともに、小さな絵画や写真、木や陶器や石を使って作られた工芸品の数々が並んでいる。近隣に住む人たちによるアート作品もある。クレーマー橋の住人の1人で、熟練の画家であるエゴン・ツィンペルさんは、橋の看板猫だったフランツを題材にした本の挿絵も手掛けている。以前ロイシュナーさんの家で飼われていた猫のフランツは、いつも橋を自由に行き来して、どこでも歓迎される存在だった。
歴史的建物にしては珍しく、窓は大きい。おかげで狭い部屋に光がたくさん入るが、同時に騒音も入ってくる。「ここはかなりうるさくなるので、防音窓にしました。外を通る人は気付いていないんですが、夜、橋を歩きながら普通に話していると、中にいる私たちには1言残さず聞こえてしまうんです」とロイシュナーさんは言う。防音窓の設置のような作業も、財団の許可を得る必要がある。それも、文化財をできるだけオリジナルに近い状態にとどめておくための策なのだ。
向かい合った2列の家のあいだには、わずか5.5メートルの距離しかないため、窓からはお向かいの夕食の中身まで見えてしまう。近所の人たちは仲が良いため、それも問題ではない。「もちろんカーテンもありますが、夕方にはときどき手を振り合ったりして、気さくな付き合いなんです」とロイシュナーさんは言う。「みんな知り合いだし、とてもいい雰囲気ですよ。」
歴史的建物にしては珍しく、窓は大きい。おかげで狭い部屋に光がたくさん入るが、同時に騒音も入ってくる。「ここはかなりうるさくなるので、防音窓にしました。外を通る人は気付いていないんですが、夜、橋を歩きながら普通に話していると、中にいる私たちには1言残さず聞こえてしまうんです」とロイシュナーさんは言う。防音窓の設置のような作業も、財団の許可を得る必要がある。それも、文化財をできるだけオリジナルに近い状態にとどめておくための策なのだ。
向かい合った2列の家のあいだには、わずか5.5メートルの距離しかないため、窓からはお向かいの夕食の中身まで見えてしまう。近所の人たちは仲が良いため、それも問題ではない。「もちろんカーテンもありますが、夕方にはときどき手を振り合ったりして、気さくな付き合いなんです」とロイシュナーさんは言う。「みんな知り合いだし、とてもいい雰囲気ですよ。」
家の幅は、道幅よりもさらに狭く、わずか4.5メートル強。横のスペースの不足を高さで補おうという設計になっている。最大の問題は、このオーク材の階段が、延べ床面積の4分の1を占めてしまうことだろう。おかげで、生活のなかで階段を上り下りすることがとても多くなる。「私たち一家にとっては問題ありませんでした。ただ、娘が生まれてからは、安全のために[写真には写っていない上の階の]壁側にも手すりを追加しました」とロイシュナーさんは言う。
工夫をこらした結果、小さい部屋でも十分な生活スペースを確保することができた。キッチンのキャビネットは、今も東ドイツ時代のオリジナル家具だ。キッチンを最大限に広く使うため、鍋やフライパン類は天井に取り付けたパイプから吊るすことにした。
ロイシュナーさん夫妻の家では、大きなダイニングテーブルのかわりに、小ぶりなテーブルを採用。こちらと下の写真の木製ベンチ(収納付き)は2人の作品で、古いチェストと板を使い、塗装と彫刻を施して素朴なスタイルに仕上げた。このベンチに座って新聞を読みながらお茶を飲むのが好きだというロイシュナーさん。
2階と3階の廊下と、1階の物置きエリアからは、細長いバルコニーに出られる。写真のこちらは、ロイシュナーさんの夏のお気に入りのスポット。
大きな家具は玄関を通って小さな部屋へと運び込むことが難しかったため、家具のほとんどはロイシュナーさん夫妻が家の中で作った。リビングルームの壁1面を覆う大きな本棚もその1つだ。
タイル張りのストーブの隣にあるのは、先祖代々受け継がれている木の椅子。複雑な彫りが施された素晴らしい作品だが、ロイシュナーさんがここによく座るかというと、そうでもないようだ。見た目の立派なものが使って快適とは限らない。「どちらかというと、棚代わりに使っています」とロイシュナーさん。
タイル張りのストーブの隣にあるのは、先祖代々受け継がれている木の椅子。複雑な彫りが施された素晴らしい作品だが、ロイシュナーさんがここによく座るかというと、そうでもないようだ。見た目の立派なものが使って快適とは限らない。「どちらかというと、棚代わりに使っています」とロイシュナーさん。
歴史あるものに愛着を持つロイシュナーさん夫妻は、自分たちで古い家具の修復もよく行っていた。こちらのセクレタリーデスクは、以前はガレージの中で道具収納キャビネットとして使われていたのだが、夫妻の目に留まり「そんな使い道では、この家具がかわいそうだと思って、売ってもらえないかと言ったんです」とロイシュナーさんは振り返る。でも、ロイシュナーさんもこのデスクで作業をするわけではない。「デザインするときは、ダイニングテーブルのほうがいいですね」と笑う。
廊下にあるアンティークの掛け時計には、特別な思い入れがある。「私の両親にとっては目覚まし時計だったんです。週末でみんな家にいるときには、朝食の合図になっていましたね。」
1970年代 から80年代にかけてクレーマー橋の住宅が修復される以前は、こちらの日当たりの良い空間にはベッドルームがあった。現在は、市内の素晴らしい眺めを見ながらシャワーを浴びられるバスルームになっている。壁とほぼ同じ幅の大きな鏡には、狭い部屋を広く感じさせる視覚的効果がある。
古い外開き窓の窓枠には、木製の置き物がこまごまと飾られている。
枚のモダンな絵入りタイル(写真)は、ロイシュナーさん夫妻が陶芸家で画家でもある近所のアーティストに依頼して作ってもらった。こんなふうに、クレーマー橋の住人たちはお互いに助け合って暮らしている。それは、日常生活でも同じこと。「電化製品の調子が悪かったりすると、近所に直すのが得意な人がいるので、すぐに訪ねて行くんです。そういうやりとりもいいですね」とロイシュナーさんは言う。
トイレはバスルームと別になっている。最初は洗濯機もここにあったのだが、1階に移動した。このような古い建物は、振動にとても敏感なのだ。「脱水中の洗濯槽の振動がすごくて。壁のすぐ裏側は、お隣のキッチンキャビネットになっていたので、お皿が落っこちないかと心配だったんです」とロイシュナーさんは言う。
トイレはバスルームと別になっている。最初は洗濯機もここにあったのだが、1階に移動した。このような古い建物は、振動にとても敏感なのだ。「脱水中の洗濯槽の振動がすごくて。壁のすぐ裏側は、お隣のキッチンキャビネットになっていたので、お皿が落っこちないかと心配だったんです」とロイシュナーさんは言う。
4階は、以前は天井裏の物置として使っていた場所だが、ロイシュナーさんに娘が生まれ、さらに息子も生まれると、より広いスペースが必要になってきた。そこでこの階にまず1部屋、そしてもう1部屋と増やした。「天井はわずか2メートル足らずで、とても低いんです。下にあるほかの階は普通の高さですが」とロイシュナーさんは言う。
子どもたちが巣立ってしまうと、表側の部屋はゲスト用寝室に作り変えた。大人になった子どもたちや、孫たちが遊びに来るときによく使う。息子さんの部屋だった場所は、夫の仕事場兼趣味の部屋になった。
子どもたちが巣立ってしまうと、表側の部屋はゲスト用寝室に作り変えた。大人になった子どもたちや、孫たちが遊びに来るときによく使う。息子さんの部屋だった場所は、夫の仕事場兼趣味の部屋になった。
この趣味の部屋には、たくさんの宝物が詰まっている。ロイシュナーさんの夫は鉱山技師で、アンティークの鉱山用ランプを集めるのが趣味だったのだ。
年に1度、6月の第3週目の週末に盛大に開かれるクレーマー橋フェスティバルのときには、ここがロイシュナーさんの特等席になる。今年のフェスティバルは6月17~19日に開催。住民たちみんなにとって、普段暮らしているこの場所の大切さ、そして今もここには歴史が息づいていることを、改めて感じるときになる。
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