イランという国で
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2015年 05月 09日 |
 この一年半、どうして忙しかったのかというと、日本のテレビ局の取材コーディネートと通訳の仕事が立て込んでいたからでした。
 アフマディーネジャード政権時代の8年間、日本からの取材の仕事はほとんどなかったのですが、大統領が替わった途端、一ヶ月あるいはそれ以上という長期の取材が立て続きました。
 大統領が替わったからですか?と聞いてみたところ、どのディレクターさんも、いや、特にそういうことではないです、とのことで、偶然なのかもしれませんが、でもやはり影響しているような感じもします。

 取材コーディネートをした番組の一つ、NHKの「アジアハイウェー〜イラン編」が、日本時間の今日、21時から放送だそうです。

 私自身は、リアルタイムでは見られず一時帰国した時に見ることになるのですが、もし良かったら御覧になってください。
 昨年放送されたグレートネーチャーのザグロス山脈編では、私の姿がちょろちょろと見えていたと家族や知り合いから聞いてびっくりだったのですが、今回はそのようなことはないようです(笑)。

 ということで、当ブログでは珍しいお知らせでした。

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2015年 05月 07日 |
 気がつくと一年以上ブログを放置していました。
 イランに住み始めて以来、初めて、と言って良いくらいのとんでもない忙しさだったのと、体調を崩したのとで、ブログの更新どころではありませんでした。
 なんとなく落ち着いてきて、ふと気になったのがこのブログのことでした。
 
 今更という感じなのですが、今年の未年にちなんで。



 またぼちぼちと更新していけたらいいなあ、と思いながら。
 今年もよろしくお願いいたします。
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2014年 02月 24日 |
 昨日もアルバイトでテヘランを離れた山の中へ。
 公共交通機関などない場所へ行くことは分かっていたので、テヘランから車を雇って行きました。もう10年以上つきあいのある運転手で、信用できる人物です。これまで調査や仕事で彼と一緒にあちこち出かけていますが、自動車自身の故障以外でトラブルはほとんどありませんでした。(自損事故はないわけではないのですが)
 昨日も、目的地の寸前までは快調な旅でした。
 目的地直前の村に入り、目的地までの道を詳しく聞こうと、村の中心に向かって曲がろうとしたときです。
 ものすごい勢いで軽トラックが飛び出してきました。
 運転手は慌ててハンドルを切りますが、相手のスピードの方が上回っていてよけきれません。
 運転手側のフロント部分にめり込むように二台が止まります。

 一体こんな運転するのは誰だよと、相手の運転席を見るとどう見ても中学生から高校生くらいの男の子です。
 向こうもびっくりしたのでしょう。一瞬運転席で固まっています。
 しかし気を取り直し、飛び降りてきて、「何をするんだよ」といきなりクレームです。もちろんこちらの運転手も負けていません。二人が言い合っているうちに村の人たちが集まってきます。その中には少年の両親も混じっています。おろおろと泣き叫ぶ母親を村の人たちに押さえてもらっている間に、かなり冷静な父親と話し合いが始まります。
 その間、村の人たちの視線に疲れた私は、村の外まで歩いて時間つぶしです。

 結局、警察を呼んで保険を使うと相手の子供が収監されてしまう可能性が高いのと、このくらいの事故で保険を使って来年からの保険料が上がるのが嫌だからと、自腹で修理をすることにしたようです。
 相手のお父さんは申し訳なかったと、自分の軽トラで(事故ったばかりなのに)私の目的地まで送ってくれ、更に町までのレッカー車代金も持ってくれ、誠意を見せてくれたのが救いでした。実は事故の瞬間、シートベルトをしないまま助手席に座っていた私としては、とりあえず、誰もけがをしないで済んだのは良かったかな、とも思うのでした。

 他に移動手段がないこととそれほど娯楽がないことから、イランの農村では、小学生くらいの子供からバイクを運転しているのはよく見かけます。それほど交通量もないですし、普段、事故などほとんど起こらないのでしょうが、まあ、次からは気をつけて欲しいなあとは言いたいところなのでした。

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2014年 02月 18日 |
 今日のテヘランは曇り一時雨。この数日、暖かい日が続いていたのですが、さすがに雨の後はひんやりとしています。

 このところ、授業がない日はアルバイトのためにあちこち出かけている状況です。本当ならアルバイトをしないで生活できれば良いのですが、残念ながらそうもいきません。
 なんと、二年前の給料10ヶ月分が未払いのままなのです。
 周囲の人たちには「よく生活できるね」と感心されるのですが、まあ、何とかなるところがこれまたイランです。

 夏に大統領が替わり、イラン国内の官公庁で随分と人事異動があったようです。テヘラン大学も、夏休みが終わってイランに戻ってきてみたら色々と移動があったようです。
 外国語学部でも学部長が替わっていて、それに伴い事務職員の異動もあったようです。

 そして、「あなたの給料のことを交渉するなら今よ」という声に後押しされ、大学に対し二年前の給料が未払いであることを訴えるレターを送付(これまでは学科を通しての間接的な交渉のみしか許されていなかった)。
 これで本当に効果があるのかと半信半疑でいたところ、手続きをするからという返事がきてびっくりです。
 大学本部の国際部に出向いたところ、なんと、外国語学部前学部長が、外国人への給料の支払いを拒否していたという驚愕の事実が明らかに。本部も状況には気がついていて、前学部長に早く手続きを進めるように促していたのが無視され続けていたのだとか。
 学部長の交代によりようやく未払い問題が解決しそうではあるのですが、大きな問題が。2年前の契約ですから、2年前の予算から払われるべきものなのだそうです。ところが既にその年の会計年度は当然のことながら終わっています。それを既に残り少ないという今年の予算の中から支払ってもらうべく、大学に掛け合っているところなのですが、2年かけて解決しなかった問題が、大統領が替わった途端、解決に向かって動き出したということが何だかなあという感じです。

 アメリカなども大統領が替わると人事が一新すると言いますが、こんな感じなのかなあと思う今日この頃なのでした。

 ちなみに、予算がないのはテヘラン大学だけでなく、国営放送をはじめ、あちこちで似たような話はあるようです。細切れに分割で給与が支払われるので、どこまで支払ってもらっているか分からなくなるという話ですし、どこも大変なようです。
 それでも、大統領が替わって、なんとなく明るい雰囲気にはなったような気がします。観光客も増えているとかで、ノウルーズ以降はホテルの予約を取るのも難しいということです。欧米との関係も改善に向かいつつあるようですし、このまま良い方向に向かって欲しいと願わずにはいられません。


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2014年 02月 05日 |
 イランはこの数日、寒波の到来に伴う雪のため、各地で大変なことになっているようです。

 テヘランも、金曜日くらいから真冬日が続いたようですが、とうとう一昨日くらいからちらちらと雪が落ちてくるようになり、昨日は、目を覚ましたら一面の銀世界でした。
 小学校は休校となったのですが、大学は授業があるため雪を踏み踏み出勤です。
 さらさらとした水分の少ない雪なので、傘をささずにいてもそれほど問題がないのが助かるのですが、つるつると滑ってしまうのが怖いところ。交通もさぞや混乱しているのだろうと思いながら家を出たのですが、意外とそうでもありません。
 市役所が夜から朝にかけて道路にまいた、塩の入った砂利砂がそれなりに効果を上げていた模様。


午後になって雪が溶けた後。点々と砂利がまかれているのが見える。


 私も雪国出身で、凍結が起こりそうな場所には砂が用意されていたと記憶していますが、塩が混ぜられていたかどうかは記憶にありません。なんだか自動車にも環境にも良くなさそうな感じがするのですが、実際どうなのでしょうか。

 午後には雪も小降りになり、道路の雪はほとんどすっかり溶けてしまいましたが、今日も午前中はまだ雪が降るとの予報。大学院入試のために大学も休みですし、家に籠もって仕事の予定です。学校が休みになった子どもたちも大喜びで、雪遊びをしているようです。大学生までもが、大学の敷地で雪合戦をしているのにはちょっとびっくりだったのでした。


雪が積もった自動車。雪下ろしを途中で断念した模様。




あちこちに雪だるまが登場。上のはなんとなく埴輪を思い出させる感じ。


 そういえば、この寒波到来に、家の中も随分と冷え込み、ものすごい寒波なんだなあと厚着をしてしのいでいたのですが、サロンにある二つの暖房のうち一つの元栓が閉めてあったことを発見。この可能性を全く考えていなかった自分には、ちょっと呆れずにはいられなかったのでした。


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2014年 02月 04日 |
 所用があってケルマーンシャーへ行ってきました。
 ケルマーンシャー市から40キロほど離れたところにある、最近世界遺産にも登録されたビーソトゥーンへ。
 まず、以前は対面だった街道が、いつの間にか上り下りを分けた高速道になっていることにびっくりし、到着したビーソトゥーンでは、以前は村と言った方が良いような小さな町だったのが、堂々たる町になっていることにびっくりして、さらに遺跡では、碑文を中心にぐるりとフェンスがめぐらされて入場料まで取るようになっていたことにもびっくりしてと、びっくりしながらの訪問となりました。考えてみたら10年以上訪れていなかったように思います。

 初めてビーソトゥーンを訪れたのは、多分、1993年のことだったと思います。
 その頃は、重要遺跡として管理されている様子はなく、入場料など徴収されることなく、碑文の目の前まで岩をよじ登ることができたものでした。


その時の写真。古いネガ写真なので少々変色しているが、正面から撮れているのが今となっては貴重。


 ところが、その後、碑文の保護と銘打って碑文の前に足場を組み、一般の観光客は碑文を見ることができなくなってしまいました。少し離れたところから、望遠で撮ると何とか碑文があることが分かる、という程度になってしまい、あまり関心が持てる場所でなくなってしまいました。


100メートルくらい離れ、200ミリで撮るとこんな感じ。碑文の下に見えるのが足場。


 久々のケルマーンシャーだったので、半日間の自由時間を観光に費やそうと思っていたのですが、ケルマーンシャーの観光地はどこも店じまいが早く、出発時間までの時間つぶしには困ってしまったのでした。冬だったからなのか、それとも通年でこうなのか、どうせ観光客なんて来ないよということなのか、ちょっと考えてしまったのでした。


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# by sarasayajp | 2014-02-04 02:26 | Trackback | Comments(2) |
2014年 01月 31日 |
家で仕事をしていると、買い物に出たり、食事の用意をしたりするのが面倒になってしまうことがままあります。
大学にはほぼ毎日顔を出しているので、大学の食堂での食事が一日で唯一のまともな食事になってしまうことも。
日本の学食も、以前は食事の量で味をカバー、という感じがありましたが、イランもまだそんな雰囲気があります。


山盛りのサブズィー・ポロウ(ハーブの炊き込みご飯)とシーチキン、オリーブ、デーツ


選択の余地なしの一種類のみ。時々、二種類からの選択ができる日もあるのですが、基本的に一種類。
おなかはふくれるし、カロリーは高いのですが、何というか、食べる楽しみは微妙だなあと。
ハーブを炊き込んであるとは言っても、ハーブの量が少ないのかそれほど薫りはしないですし、特に味が付いているわけでもないシーチキンがおかずになってしまうところが日本人的には微妙です。更に、べったりと甘いデーツが食事に添えられていると、いつこれを口にしたら良いのか悩みます。

とはいえ、日本とは違い、国土のほとんどが高地で海や川の幸とは縁がない国ですので、私がイランに来たばかりの頃は魚の缶詰がごちそう扱いされている場面も目にしたこともありますし、もともとは昼食が一日の食事の中心で、夕食は軽く済ませるのが普通だったことから、今でも、夕食をパンやチーズ、卵料理や魚の缶詰で済ませる家庭は珍しくありません。

写真のシーチキンは缶から出してあるので食事らしいのですが、時々、面倒なのか、缶に入ったまま出されることがあって、これはさすがにどうかと思わずにいられません。

これで、教職員は一食130円くらい(学生は半分以下のはず)なのですが、イラン人教職員は高いし美味しくないからとお弁当を持ってくる人も多いようです。そのため、給湯室には電子レンジが置かれていたりします。
学生たちも口を揃えて、「学食は美味しくないです」と言うのですが、大学の周辺に安食堂もない環境の中、この値段で、自分が作らずに済むのならありがたいと、文句は言いつつも思う日本人なのでした。

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# by sarasayajp | 2014-01-31 02:46 | Trackback | Comments(6) |
2014年 01月 24日 |
少し前に調査に出かけたときのこと。

テヘランでは晴れた日が続いていたので油断して、軽装で出かけてしまいました。

テヘランから自動車で西へ。
2時間ほど走ったところで、道路の両側に広がる地面に残雪が見えるようになってきました。
そういえば、テヘランより西の地方はテヘランよりもずっと寒いんだったと思い出したときには、さらさらとした雪が5〜10センチほど積もっている地域に入っていました。
もちろん、道路には雪は積もっていませんので移動には問題ないのですが、私の調査対象が雪野原を超えていかなくてはならない場所ばかりなのが頭の痛いところ。
とりあえず近くまで行ってみようということで行ってみたものの、一箇所は山の中なので雪が消えたらおいでと言われ、もう一箇所は雪で自動車が入れず、歩いて行こうにも目的地が雪の下で見えないためこれまた諦めざるを得ずという結果に。

日が出ていたので覚悟していたほどは寒くなかったものの、スパイクタイヤでもタイヤがすべるすべると、さらさらのパウダースノーには負けてしまったのでした。


この先に目指す場所があるはずなのだが…


地元の人たちからの情報は色々と手に入ったので、収穫がなかったわけではありませんが、雪が溶けて地面が乾くまではこのあたりでの調査は休止だなあと、少々がっかりだったのでした。


雪の上には動物たちの足跡がいろいろ。



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2014年 01月 22日 |
仕事でエマーム・ホメイニー国際空港へ。
出国カウンター前でお見送りをしていると、韓国系の顔立ちの男性がこちらをじっと見ています。どこかで会ったことがあるような気がするなあと思ったところで「サラさん?」と呼びかけられ、思い出しました。
テヘラン大学の大学院生だった頃、日本人留学生とも親しくしていた韓国人留学生のキムさんです。
「久しぶり〜。何年ぶりかなあ」
「15年ですよ。今何をしているんですか?」
「私はテヘラン大学で教えていますよ。そちらは?」
「勉強はやめて、今はLGのテヘラン事務所で働いているんですよ。二人ともテヘランにいたんですね」
「本当に。びっくりした」

などなど、その頃イランに留学していた人たちと自分の近況報告をしあい、連絡先の交換をして分かれたのですが、ほんとうにびっくりでした。

その当時の日本人留学生の多くは、資料集めやイランに滞在することが目的で、大学の学位を取得することには関心がなかったため、テヘラン大学が東アジアからの留学生に対してビザの支給を厳しくした時期がありました。
キムさんはまじめな留学生で、そうしたテヘラン大学の理不尽とも言える措置に困った困ったと言いながらも、いつもにこにこと私たちに応対してくれる人でした。

日本人としては韓国企業に思うところがないわけではないのですが、でも、やっぱりこういう再会は嬉しいなあと思うのでした。


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2014年 01月 02日 |
あけましておめでとうございます

テヘランは雪の正月となりました。とはいっても、イランでは平日なのですが。

昨年は、大統領選挙期間のネット制限からずっと自分のブログにアクセスできない状態で、かといって、フィルターをかいくぐって自分のブログにアクセスするのが面倒に感じるほど忙しかったため、半年以上の放置となってしまいました。

「ちょっと忙しい」くらいだと目の前の仕事よりも、家の掃除やブログの更新など他のことに逃避してしまうのですが、「本当に忙しい」だとやはりそうもいかないのだと実感した次第です。
先週、今学期の授業が終わり、この数年分のコピーやプリントの山が気になり、整理分類を始めました。
家の整理整頓を始める気分になったということは、少し余裕が出てきたということかなと、次から次へと出てくるコピー等の山にうんざりしつつもほっとしています。

しかし、家の掃除で始まる新年というのも、ちょっとさえないなあとは思うのでした。


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